2015年10月3日土曜日

〜えんせいかつより〜2015.10.1

園から毎月発行される「えんだより」からの抜粋です。

〜えんせいかつより〜

 爽やかで心地よい風が吹き、秋がやってきました。光と熱にうかされていた体と心が落ち着きを取り戻し、楽しい集中力のもたらされる季節です。秋から冬へと自然界はしだいに衰え死へと向かいます。地上にみなぎっていた”いのち”の力は、地中へともぐり、晩秋から冬のあいだ地中は〜地球の内部は〜新しい春へむけての”いのち”に満ちた活力で満たされます。外界の光と”いのち”の力が実際には失われることなく目には見えない地中に引き継がれるように、それは私達人間の内部へももたらされます。心が最も活発に働き”いのち”で満ちるのはこの秋から冬の季節のようです。

 外界の光が私達の内面へと移しかえられる秋の始まりは秋分の日であり、光と闇の季節の丁度中間にあたります。シュタイナー教育に於いては9月29日の"ミカエルの日"がそれにあたり、ミカエル祭は10月一杯つづきます。大天使ミカエルは秋を司る大天使です。闇へ向かう季節の中で恐れずに勇気をもって、内面に光を生み出す努力を支えてくれます。そして闇の只中の冬至に私達の心の中心に一人一人が光を生み出すことがクリスマスの現代的な意味なのだと思います。

 子ども達と毎朝するライゲンではこの季節にミカエルのライゲンをします。”清らかな道を歩いてゆこう。ミカエルと共に歩いてゆこう”と歌い、一歩前へとおごそかに踏み出して、”大天使ミカエル 光の剣を持ち 世界をかけめぐる”と唱えます。

 シュタイナーは闇を、この時代の悪を、唯物主義=物質主義であると言っています。物質的に豊かであることへの衝動にのみこまれて、 人間性を失うことへの警告を既に100年半も前にしているのです。そして今、格差社会の進むなか確実にそんな時代の波にのみこまれています。

 子ども達との生活を”いのち”あるもので満たしましょう。子ども達の生き生きとあそぶ力を萎えさせないようにしたいと思います。それは大人の努力によってもたらされます。朝は登園前にお庭が掃き清められます。そして最初の子どもが登園する時間に室内で子どもが出会うのは、毎朝すべての棚を拭いている教師の姿です。子どもの空間は身近な大人の行為によって輝いていることが大事だからです。その日のお茶が香り、おやつや昼食の支度が始まっています。生き生きと愛情深くそして静かに働く大人の姿がそこにあります。手仕事テーブルの準備がきちんとされていない時、子ども達の意欲は散漫になります。布切れや糸巻が雑然としていると、子どもの想像力も集中力も雑然としてきます。私達教師が只々、針や糸を渡すことに追われて、子どもの世話ばかりをしていると、子どもの真の喜びと創造性は育ちません。私達が必ず”何かを作る人”であり、それが形としておもちゃになったり、道具になったりすることがとても重要なのです。教師が幼稚園の為に、そして季節の祝祭の為に必要な仕事をしていることを、その一貫した大人の姿から小さい子どもが感じとれる時、生活はいのちと道徳性で満たされると思っています。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

お月さま(年中さん)の時にお誕生日会で子ども達がもらう針山 教師による手づくり